欧州ミュージアム巡りの旅 29 (旅行連載小説短編)

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Photo:Wikimedia Djngsf

オルセー美術館見学開始

「どうやら常設展示だけで4000点もあるらしいよ。」

サブローが言いました。

「全部観るのには随分時間がかかるわ。1点に10秒かけたとしても6点で1分。360点で1時間。4000点観るのには11時間もかかるわ。」

「それは計算上のことだよね。実際にはもっと時間がかかるよね。やっぱりちょっと無理かな?観たい作品だけを狙って観るという方法が正解かもしれないよ。」

「日本人の好きそうな絵が随分たくさんあるようね。つまり美術や社会科の教科書などで見たことのあるような絵のことね。印象派やポスト印象派、象徴主義、世紀末芸術、アールヌーボーの工芸、20世紀芸術に繋がる作品、ロダン以降の彫刻などがあるみたいだわ。」

「うん。」

「ね。」

「それじゃあ、とりあえずアングルの『泉』を観に行くということでいかがですか?」

「そうしましょう。」

オルセー美術館の展示場所はジャンルによってしっかり分けられているようです。ただし展示場所は時々変わることもあるようです。

チエコとサブローが訪れたときには次のとおりでした。

地上階
アングルとアングル派
ドラクロワ
バルビゾン派
写実主義
初期印象派

中階
アールヌーヴォー
ロダンの彫刻

上階
印象派
ポスト印象派
新印象派
ポン・タヴェン派
ナビ派

アングルの『泉』

アングルの展示場所はすぐに判りました。[アングルとアングル派]の展示エリアにありました。『泉』は、フランスの新古典主義の画家であるジャン・オーギュスト・ドミニク・アングルの作品です。1820年から1856年にかけて描かれました。カンヴァスに油彩で描かれています。163 センチメートル× 80 センチメートルの大きさです。

この作品には、岩に立ち続ける若い婦人が描かれています。彼女は手で水壺を支えています、その水壺から水が流れ落ちています。この婦人は水源や泉を象徴しています。文芸を象徴しているとも言われます。『泉』を完成させたのは彼が76歳の時でした。アングルの弟子、画家のポール・バルズとアレクサンドル・デゴッフが、背景と水壺を描くのを手伝ったと伝わっています。

彼女の両側にある2つの花は「引き抜かれやすい」ということから、「婦人の紳士に対する弱さ」を示しているとされています。彼女の周りに見えるヘデラは、騒乱や再生を象徴しているとのことです。

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彼女の注ぐ水が水面となって境界線を生みだし、彼女とこの絵を見るものとを象徴的に切り離しています

芸術歴史家のフランセス・フォウルとリチャード・トムスンは、『泉』という作品は女性と自然のつながりが表現されているとしています。

『泉』は1856年に完成しました。初めから受け入れられました。1857年にはタンネギー・デュシャテルが25,000フランでこの作品を購入しました。 1878年にはフランス政府が絵を取得しました。この作品は一度ルーブル美術館に納めました。 1986年にオルセー美術館に移されました。作品は頻繁に展示され、広く公開されました。

ホールデン・マクフォール、ケネス・クラーク、ヴァルター・フリードランダーなどが高く評価しています。アイルランドの小説家ジョージ・ムーアはモデルの実生活での道徳性について皮肉的な記述をしています。

「とてもきれいな作品ね。縦に細長いカンヴァスなのね。」

「そうだね。命の力を感じるね。」

「本当に観ることができて良かったわ。」

他にもアングルの作品を観ることができました。

「次はミレーだね。」

「そうね。」

「ミレーは写実主義だったよね。」

「そうよ。」

「じゃあこっちかな?」

ミレーの『晩鐘』

ミレーの展示もすぐに判りました。ジャン・フランソワ・ミレーはフランスの画家です。

「晩鐘」は、1857年頃に描かれたミレーの作品です。バルビゾンの畑で農作業をする夫婦の夕方の様子が描かれています。

「良い絵なんだけど、なんだか不思議な感じのする作品ね・・・。」

「そうだね、なんだか、わずかに違和感があるんだよね。」

ダリやゴッホなどもこの絵については、やはり何かを感じてしまったようで興味深い解釈を残しています。

ミレーの『落穂拾い』

「落穂拾い」もミレーの作品です。

フォンテーヌブローの森のはずれにあるシャイイの農場が舞台です。3人の貧しい農婦が刈り入れ後に残った麦の穂を拾い集めている様子が描かれています。労働の重苦しさと明るい朝の太陽に照らされた美しい色彩が描写されています。

この地方の農村社会では、落穂拾いは貧しい寡婦や貧農などが命をつなぐための権利として認められていました。畑の持ち主は落穂を残さず回収することは禁じられていたそうです。ミレーはこの土地にやってきてそのことを知った時に感動したのかもしれません。

「有名な絵よね。観ることができて良かったわ!」

「うん、良かったね!」

「あとは全体を流して歩いて見ていって、興味のある絵や彫刻だけをしっかり観ようか?」

「ええ、私はもう大満足だから。気楽に見ていきましょうね。」

(つづく)

良い旅を!

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※ 「見る」が常用漢字ではありますが、このお話の中では「見る」は「単純に目に映る」感じ。「観る」は「絵をしっかり鑑賞する」感じ。という設定で書き分けてみました。本当はどちらでも良いという考え方もあるそうです・・・。