みちのく・弘前にて 7(旅行連載小説 短編)

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サキは朝食を済ませました。今日は特に予定はありません。とりあえずゆっくりと弘前城を見に行きたいと思いました。弘前城はとても広く、家族でお花見に出かけた記憶や学校の遠足で行った時のことが忘れられません。

「わんつかお城見サ行ってぐらきゃ。」(ちょっとお城見に行ってくるね。)

「気ば付けいて、いっていきやっしゃい。」(気を付けて、いってらっしゃい。)

弘前城へ

バスで弘前駅に向かいました。弘前駅から弘前城までは2.5キロメートルほどあるので、バスに乗りました。市役所前で降りて4分ほど歩きました。

今まであまり弘前城のことは知らなかったのですが、詳しく知りたいなと思いました。公園のベンチに座ってスマートフォンを使って弘前城に関するウェブサイトを探してみました。弘前城の概要は次のようなものでした。

弘前城(ひろさきじょう)は鷹岡城(たかおかじょう・高岡城とも書きます。)ともよばれました。今は江戸時代に造られた天守(てんしゅ)や櫓(やぐら)などが残っています。国の重要文化財です。城跡は国の史跡になっています。江戸時代には弘前藩4万7千石・津軽氏の居城でした。そして鷹岡(弘前)は津軽地方の政治や経済の中心地となりました。弘前城は平山城です。城郭は本丸、二の丸、三の丸、四の丸、北の郭、西の郭で構成されています。造られた頃は東西に612メートル、南北に947メートル、総面積385、200平方メートルでした。今も、堀、石垣、土塁など、城郭のほとんどが廃城された時の原形をとどめています。8棟の建築物と天守1棟が現存しています。弘前城は『現存12天守』の一つとされています。また、「日本七名城の一つ」とも言われています。弘前城の歴史は古く安土桃山時代までさかのぼります。

弘前城は1594年に大浦為信(ためのぶ)が築城の場所を鷹岡に決めます。1600年の関ヶ原の戦いでは東軍として戦いました。そのため徳川家康に認められて47,000石の弘前藩となりました。「弘前」は天海大僧正が命名してくれたそうです。1603年に為信が築城を始めます。為信の死後、1611年に息子の信枚(のぶひら)が鷹岡城(現在の弘前城)をほぼ完成させます。5層6階の天守でした。ところが1627年に落雷で天守が炎上します。内部の火薬に火が付いて大爆発。天守、本丸御殿、櫓多数を焼失します。それから200年ほど天守のない時代が続きます。1628年地名の「鷹岡」を「弘前」に改名します。それ以後は「鷹岡城」を改めて「弘前城」と言うようになりました。1810年、9代目の藩主津軽寧親(やすちか)が炭櫓の改築を幕府に願い出て許されたので本丸に現在見られる3層3階の御三階櫓が建てられました。

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サキは(このお城は歴史的に苦労をしたお城なんだなあ・・・。)と思いました。その後、天守のある場所を目指して歩きました。

 

かわいそうなお城

こんなことはめったにないと思うのですが、サキが訪れたとき、弘前城の天守は修復中でしかも場所を移動されていました。赤い橋からはもちろん眺めることができませんでした。一時的に天守の建物を置いておく場所なのでお城は数段の低い石垣上に置いてありました。以前のお堀に面して高い石垣の上にあるイメージとはだいぶ違います。以前の姿からするとちょっと悲しい感じです。背が縮んでしまったようで・・・。サキの心に悲しみが響きました。(でも、良くなるためだから・・・。お城も我慢してね。)と心の中で声を掛けました。

その時、サキはさらに思いました。(なんだか今の私と似てるような・・・。お城は足元の石組みが傾いてきたのでお城の天守を丸ごと移動して基礎から直す工事をして、また元に戻すのよね。私は仕事や恋人、株をなくして人生の立ち位置が不安定になって実家に帰ってきたんだわ。とりあえず就職をしっかり決めてまたやり直せたらいいよね。やっぱり弘前城と私は似てるわ・・・。)とサキは思いました。一人で少しだけ笑ってしまいました。

するとその時、観光客の人が話しているのが聞こえてきました。

「思っていたより小さくてがっかりしたよ・・・。」

「そうだねえ。」

サキはその人たちに「そんなことを言わないで!」と言いたかったです。でも言わずにぐっと我慢しました。サキは子供の頃からこのお城を見ていますから別に小さいとは思っていませんでした。むしろ、かわいくて好き!と思っています。

勝手な期待が大きすぎると実物を見てがっかりするということがあります。サキは思いました。これからは過剰な期待はせず、事前によく調べて、よく見て物事を正確に判断するようにしようと思いました。

これはあくまでもサキの思い込みなのですが、なんだか弘前のお城が

「人生で失敗したら一度安全な場所まで移動してまたやり直せばいい!」

「人生では物事を正しく判断することが大事だよ!」

と2つのことを教えてくれたような気がしました。

サキはなんだか少し嬉しくなってしまいました。サキは足取りが少し軽くなりました。後ろに手を組んで顔を上げ、少し歩幅を広くして歩いてみました。なんだか更に気持ち良い気分になりました。そして遠くからお城に一礼するとサキは弘前の公園を後にしました。

(つづく)

良い旅を!

※ 会話文中の津軽弁表記がもしも間違っている場合にはお教えください。

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