パリ二日目の夜 宿にて
交代で入浴を済ませてから、二人で話をしているうちにチエコは眠くなってきました。一日中歩き回っていたのですから無理もありません。
「やっぱり旅行はスポーツよね。」
「そうだね、少し体を鍛えておいて良かったよ。」
「あなたはお体どこも痛くない?」
「うん少し脚が痛いかな。」
「私も。」
「湿布を貼って休もうか?」
「そうね、私も湿布をいただきたいわ。」
「今、スーツケースから出すね。」
サブローはスーツケースを開けます。持参した救急セットの中から湿布を取り出しました。
「はいっ、湿布をどうぞ!」
「ありがとう!」
チエコとサブローはそれぞれ痛い所に湿布を貼りました。
「話は変わるんだけど、旅行に来てからというもの、とても良く眠ることができるのよね。」
「そうだね、疲れちゃってバタンキューっていう感じかな?」
「そうね。普段、こんなに歩かないものね。あれかな?日本にいるときでも昼間に良く歩いたら、夜よく眠れるのかもしれないわね。」
「そうかもしれないね。日本に帰ったらウォーキングを習慣にしようか?」
「そうね、それもいいわね。」
「ところで明日はパリ3日目、オルセー美術館だね。」
「そうね楽しみ。アングルの『泉』とミレーの『落穂拾い』『晩鐘』を見ることができたら幸せだわ。」
「そうだね。楽しみだね。午後時間があれば市内バス観光もいいね。」
「じゃあおやすみなさい。」
「うん。おやすみ。」
先ほどの言葉通り二人は数秒で眠りに落ちてしまいました。パリの夜は静かにふけて行きます。
深夜に大声?
チエコとサブローが寝ていると急に部屋の入り口の扉の外、廊下から大声で話す人達の声が聞こえてきました。
チエコとサブローは何事かと思い、同時に目を覚ましました。サブローがベッドサイドの明かりを点けました。自分たちの部屋には異常はないようでした。しかし相変わらず廊下からは大きな声が聞こえてきます。聞いたことのない言語で数人が話しをしているようです。二人は思わず顔を見合わせてしまいました。
「今何時?」
「深夜零時だね。」
「何かあったのかしら?」
「そうじゃないと思うよ。たぶん、部屋に帰ってきただけなんだろうなあ。」
「そうかなあ?なんだか口論してるように聞こえるんだけど・・・。」
「いやぁ、それは違うと思うよ、たぶん普通にお話をしてるだけなんだと思うよ。」
「大声大会みたいね。」
「きっと旅行が楽しかったんだろうね、盛り上がっているだけなんだと思うよ。僕達だって旅先ではしゃいでしまうことがあるじゃない。それと同じかな?」
「じゃあ悪気はないの?」
「まあね、周りに迷惑をかけてるとは思っていないんだろうね。こうして聞いているとね、[ごはんが美味しかった!]とか「ブランド品を買った。]とかそんな話をしているようだよ。」」
「まあ、そうなの? それにしてもあなたはあの人達が何を言っているのかがわかるの?」
「いや、僕は習ったことのない言葉だからよくは解らないんだけどね、パリのブランド名やレストランの名前などの固有名詞はそのまま聞こえてくるから・・・。たぶんそういうことかなってね。」
「なるほどね。そう言われてみると地名もそのまま話しているようね。セーヌとかエッフェルとかそのまま聞こえて来るわね。」
「そうだね、早くみんな部屋に入って休んでくれるといいんだけど・・・。」
「そうね。元気すぎてちょっとご迷惑様ね。」
「そうだね。まあ、時間がとてもかかるとは思うけれど、いつの日にかは自分たちが皆に迷惑をかけているということに気が付くときも来るんじゃないかな? たぶんまだ若い人達なんじゃないかな?」
「いつかなの?それ!。今うるさいのよ!」
チエコは、ほんの少しだけ頭にきているようです。
「まあ、そんなに怒らないで、旅はお互い様なんだから。」
「そんなこと言っても・・・。」
サブローはベッドから出てスーツケースを開けました。中から何か取り出しました。
「チエコ? これはね、最新式の耳栓だよ。音をさえぎる能力が高いんだって。その割に装着感もいいらしいよ。はい、これ。」
サブローはチエコに耳栓を渡しました。チエコは耳栓を着けてみました。
「これ、すごいね。ホントに聞こえない。」
「よかったね。」
「何て言ったの?」
片方の耳栓を外してチエコは聞き返しました。
「よかったね。って言ったんだよ。」
「そう、ありがとう。あなたは耳栓着けなくていいの?」
「うん。火事等の時に備えて耳栓はしないでおくよ。僕はこういう状況でも危険でないと解れば眠ることができるから。君は耳栓をしてこのままお休みするといいよ。万一の場合は僕が君を起こしてあげるから。安心してね。」
「そう、それじゃお言葉に甘えて・・・。」
チエコは耳栓を着けてベッドに入るとすぐにまた小さな寝息を立てて眠ってしまいました。
サブローはしばらくチエコの寝顔を眺めていましたが、ベッドサイドの明かりを消すと横になりました。目を閉じるとうとうとしはじめて、やがてまた眠ることができました。
廊下の外ではいつまでも大声の楽しそうな会話が続いていました。
(つづく)
良い旅を!