欧州ミュージアム巡りの旅 19 (旅行連載小説短編)

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Photo:Wikimedia Commons hiro449944

アングルの『泉』はどこ?

チエコとサブローはモナリザを鑑賞した後、次に何を見ようかということになりました。

「君のリストによるとモナリザの次はアングルの『泉』だったかな?」

「ええ、そうよ。」

「ええと、このオーディオガイドで調べてみると・・・。あれ? 見あたらないなあ。」

「そんなはずないでしょ?」

「あれ?やっぱりないよ。」

「ええっ? 私が図書館の本で調べたときにはルーブル美術館にあるって書いてあったわよ。」

「そう? じゃあインターネットで調べてみようか?」

「そうね。」

サブローはスマートフォンで検索します。

「なるほど、そういうことか!」

「わかったの?」

「うん。結論から言うとルーブルにはないみたいだよ。」

「そうなの? どういうことかしら?」

「つまりこういうことらしいんだよね。『泉』が完成して初めて展示されたのは1856年なんだね。そして、 1857年にはタンネギー・デュシャテルさんが購入して所蔵。 1878年にはフランス政府が取得してルーブル美術館に収めたんだよね。でもね、その後1986年にはオルセー美術館に移されて今もそこに展示されているらしいよ。」

「そうなの?」

チエコは目を丸くしました。

「君が読んだ図書館の本はもしかしたら1986年以前の出版だったんじゃないかな?」

「ええ。古いものだったわ。写真の多い立派な本で読んでいて楽しかったんだけど・・・。」

「状況はどんどん変わるから情報は最新のものを仕入れておく方がいいってことかな?」

「そうね。私、少し驚いてしまったわ。」

「オルセー美術館は今回の滞在中に行くことができると思うからアングルの『泉』もきっと見ることができると思うよ。」

「ええ、きっと見たいわ。ちょっとお預けになっちゃったわね。」

「後のお楽しみということかな?」

二人で少し笑いました。

 

マルガリータ王女の肖像

「さて、君の次のリストはディエゴ・ベラスケス作『フェリペ四世の娘マリーマルガリータ王女の肖像』だね。」

「ええ、とてもかわいらしい絵なのよ。」

「よし、調べてみよう。」

サブローはオーディオガイドを操作します。

「良かった!これはあるみたいだよ!あっ。でも見られないかも・・・。」

「どういうこと?」

「いやあ、あるにはあるんだけど、一時的に非公開になってるんだよね。」

「そんなことってあるの?」

「まあ、あれだね、修復のためとか、貸し出しのためとか・・・。」

「そうなの? 残念だわ。中々思うようにいかないものね・・・。」

「すまない、がっかりさせてしまったね。」

「ううん。あなたが謝ることはないわ。ありがとう。」

サブローはインターネットで調べてみました。作品の場所は Denon 1st Floor  Painting in Spain in the 17th century Room 30 とあります。「デュノン翼 一階 17世紀スペイン絵画  番号30の部屋」 ということでしょうか? さらにこう続きます。 Temporarily closed to the public, works not currently on display 「一時的に一般に公開されていません。この作品は現在展示されていません。」という感じでしょうか?やはり、確かに公開されていないようです。

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チエコの落胆ぶりは可哀そうな位でした。

「この作品だよね。」

サブローはスマートフォンでディエゴ・ベラスケス作『フェリペ四世の娘マリーマルガリータ王女の肖像』の絵を見せてあげました。

「そう、この作品よ。マルガリータ王女。可愛いわよねえ。」

「そうだねえ、でもこの王女様はちょっと可哀そうなんだよね。作者もだけど・・・。」

「そうなの?」

「うん。今、あわてて調べたから受け売りの知識なんだけどね。マルガリータはハプスブルク家間の政略結婚のため、1666年の復活祭の日に神聖ローマ皇帝レオポルト1世と代理結婚したんだよね。彼は母親の実の弟で11歳年上。ウィーンに輿入れすると、両人参加の正式な結婚式が盛大に執り行われて、その後の結婚生活も幸福なものだったらしいよ。二人は6年間の結婚生活で6人の子供を授かったそうなんだけれど、その中でマルガリータは幾度も流産を繰り返すという苦しい体験をしたんだね。しかも、成育できたのは娘のマリア・アントニアただ一人だけだったんだよ。ちょっと可哀そうだよね。それに加えてマルガリータがスペインから連れてきたお付きの者たちが嫁ぎ先の皆と打ち解けない態度を取ったり、傲慢な行動をしたせいで、ウィーン宮廷内には反スペイン感情が高まってしまったんだよね。その矛先はマルガリータに向けられて彼女は苦労したらしいんだよ。病弱なマルガリータは、妊娠、流産、出産の繰り返しで体がすっかり弱っていたから第6子を出産した直後に病の床に就いてしまったんだよね。彼女はまだ生きているのに宮廷の家臣たちは彼女がいなくなることを喜んで、レオポルト1世の再婚相手探しを始める始末だったらしいよ。ひどいよね。マルガリータは享年21歳だったんだね。そして悲しいお話はこれで終わらないんだよ。マルガリータの唯一生き残った娘、マリア・アントニアはバイエルン選帝侯マクシミリアン 2世エマヌエルに嫁いだんだよね。彼女は3人の子供を産んだんだけれど、3人とも幼くして天に召されてしまったんだって。マリア・アントニアは第3子を出産後急逝してしまったそうだよ。そのため王妃マリアーナからマルガリータ、アントニアと続いた血筋はそこで途絶えてしまったんだね。救いのほとんどない悲しいお話だね。」

「そうね。悲しいお話ね。そういえば作者もってどういう意味?」

「ああ、それ? 作者はベラスケスなんだけれどね、彼は60歳のときにフェリペ四世の子、マリア・テレーサとフランス国王ルイ14世の結婚式準備に奔走したんだよね。その直後に亡くなるんだけれど過労が原因だったようだよ。っていうお話。どうだった?」

「それもなんだか悲しいわ。」

この作品名は『王女マルガリータの肖像』 Portrait de l’Infante Marie-Marguerite  作家名はベラスケス・ディエゴ Diego Velazquez (1599-1660) この作品は1654年頃に油彩でカンヴァスに描かれました。寸法は70センチメートル×58センチメートル ルーブル美術館所蔵 マルガリータ王女の肖像画です。
フェリペ4世は1623年にセビリアから宮廷画家として24歳の画家ベラスケスを招きました。以後彼は、生涯にわたって王室一族の肖像を描き続けました。マルガリータはその中でも最も良く描かれた一人です。ベラスケスはモデルの内面をも感じさせる写実的な描写をしました。同時に軽い筆致で微妙な光の効果を表現しています。ベラスケスの作品は19世紀の印象派に影響を与えたとされています。

(つづく)

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良い旅を!
 

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