伊豆旅行 熱海 (国内旅行)

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伊豆の観光

伊豆は文学、歴史などの見所があります。温泉と新鮮な魚介類も魅力です。伊豆観光は基本的に都市単位になります。一ヶ所に長く滞在して楽しむのも良いですし、いくつもの都市を次々と巡(めぐ)るのも楽しいです。

「伊豆」と聞いてまず思い浮かぶのが「熱海(あたみ)」です。まずはそのあたりから観てみましょう!

熱海(あたみ)

熱海は静岡県東部、伊豆半島の基部(北東隅)、相模湾に面している全国有数の温泉都市です。観光と保養で有名です。熱海市の人口は4万人程です。面積は61.56平方キロメートルです。

熱海の4大温泉

熱海温泉  豊富な湯量で夜景も美しく、東洋のナポリと言われたことがあります。肌の古い角質を穏やかに溶かして美容上良いとされる弱アルカリ泉が多いです。メタけい酸を含むので美肌に良いとされています。

伊豆湯河原温泉  湯河原温泉を流れる藤木川の右山の手に開けた閑静な温泉。お体にやさしい単純泉も多いので気楽に楽しむことができます。しっとりした風情の旅館が建ち並んでいます。

伊豆山温泉 岩戸山の南斜面が相模湾に落ち込む辺りに開けた閑静な温泉です。景色と雰囲気の良い歴史のある温泉場です。鉄分を含む温泉や酸性の温泉など、少し珍しい泉質の温泉もあります。

南熱海温泉 網代温泉とも言われます。漁業の盛んな港町の温泉です。温度が高くて成分の濃い良質の温泉が多い地域を含みます。メタけい酸の含有率が高い温泉も多いです。

他に多賀などの温泉もあるようです。

300をこえる泉源を持つので 単純泉、弱食塩泉、石膏泉、硫酸塩泉など様々な成分の温泉があるようです。泉温は61~99度と高いです。湯量は多いです。

温泉が発見されたのは5世紀頃のようです。

 

熱海7湯

熱海温泉の発展には重要だった7つの自然に沸いた(自噴)温泉がありました。これらは熱海の名湯として有名でした。大正時代までは残っていたそうです。つまり現代ではそこに温泉は出ていないのです。けれどもそれではあまりにも寂しいので平成9年に熱海市制60周年の事業として熱海七湯を再整備したのだそうです。情緒のある当時の熱海温泉の姿を再現するために湯煙を立ち上らせています。熱海七湯は熱海銀座付近に散在していますので7つの源泉めぐりを楽しむのも良いですね!

ご注意! 熱海七湯は入浴施設ではありません。自然湧出時代の温泉が持つ雰囲気を復元したモニュメント的なものなのです。

① 大湯間欠泉 (おおゆかんけつせん)

熱海の銀座通りの山側にあります。世界の三大間欠泉の一つでした。大湯の間欠泉は、規則正しく蒸気と湯を交互に激しく噴出し、地面からその振動が伝わるほどだったそうです。大正12年の関東大震災の後から噴出が衰えました。昭和37年に人工的に噴出する間欠泉として整備されました。熱海市の文化財として保存されて現在に至ります。

② 河原湯 (かわらゆ)

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大湯は湯治客が主に使っていました。他の源泉も限られた家の人達だけが使えるお湯でした。熱海村の村民や近郷の人達が自由に入浴できるのは、ここだけだったのです。このあたりは東浜とよばれていました。石がごろごろした河原でした。けれども温泉は絶えず豊富に湧き出ていました。寛文6年(1666年)に小田原城主が村民のために浴室を設けて、その屋根を瓦葺としたので「瓦湯」とも言ったとされています。この湯は身体に良く、人気があったようです。

③ 佐治郎の湯・目の湯 (さじろうのゆ・めのゆ)

銀座町にあった佐治郎邸内にあったことから「佐治郎の湯」といわれたそうです。この源泉は明治の頃には旅館の所有になったので「新かどの湯」ともいわれていました。この温泉は、塩分が少ない湯だったようです。そのため眼病にもよく効くといわれていました。別名を「目の湯」ともいったそうです。

④ 清左衛門の湯 (せいざえもんのゆ)

昔、清左衛門という農民が落馬して、この湯壷に落ちて命を落とすという事件があったので、「清左衛門の湯」という名が付いたとされています。明治までは、いつでも湯が湧き出ていました。『続熱海風土記』によれば、入浴していてぬるいと思えば「清左衛門ぬるし」と大きな声で叫べば温度が上がるように激しく湧き出し、小さな声で言えば穏やかに温まるように湧き出したそうです。現在では、人工の湯けむりが上がりますから、当時の温泉風情が感じられるかもしれません。

⑤ 風呂の湯・水の湯 (ふろのゆ・みずのゆ)

昔の坂町高砂屋の庭から湧き出ていました。この湯は外傷に良いとされています。当時、湯気の噴き出しがとても盛んだったので饅頭を蒸して販売していました。「風呂の湯」の1.5メートルほど東に、塩分のない真水のような低温の温泉も湧き出ていたようです。『熱海史誌』には、「淡白無味常水を温めるもののごとし・・・故に水の湯と名付く」と書かれているそうです。
江戸時代には、「目の湯」をのぞいたものを熱海七湯としていました。明治期になると、「水の湯」をのぞいたものを熱海七湯と呼ぶようになりました。

⑥ 小沢の湯・平左衛門の湯 (こさわのゆ・へいざえもんのゆ)

熱海温泉通りにある市営温泉 野中 動力室のあたりにあった、沢口弥左衛門、藤井文次郎、米倉三左衛門の庭の湯を「平左衛門の湯」と呼んでいたそうです。地元の人は小沢町にあったことから「小沢の湯」とも呼んでいたそうです。「清左衛門の湯」と同じように、人が大きな声で叫べば激しく湧き、小さな声で言えば穏やかに湧き出たそうです。

ここでは高温の蒸気を利用し、付近のお店で購入した生卵を使ってゆでたまごを作ることが出来ます。ただし、蒸気の吹き出し口は 非常に高温となっているので火傷に注意が必要です。ご注意を!また、蒸気が減少している時はゆでたまごを作ることができない場合もあるそうです。併せてご注意ください!

⑦ 野中の湯 (のなかのゆ)

熱海の中心にある銀座通り交差点四つ角から北へ1.2キロ程にある山を野中山といいます。この山の麓、野中周辺では、泥の中から湯がブクブクと噴いていたそうです。杖で突くと湯が湧き出したそうです。また、このあたりの赤い色の土は壁を塗る材料に使っていました。江戸時代までは、ここは、浅いところから沸いていたので、ほとんど入浴には使用されなかったそうです。そのため、湯をためる湯桝を造らなかったようです。

良い旅を!

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